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戦争は、血を流すことそのものである

私は1960年代生まれだが、「戦争」を知っている。といっても、「かけら」に過ぎないが。

しかし、「かけら」であっても、それは十分に重いものだった。

1980年代、中米の各地は内戦下にあった。そのことは、ある事情で日本ではあまり大きく報道されていなかった。戦争というものを観念的にしかわかっていなかった私は、深い考えもなく、中南米のバックパッキングの旅行の流れで中米に足を踏み入れたのだった。

そして、難民キャンプというものの存在を知った。

そこにいたのは、国際赤十字に救出されて集められていた内戦被災者の人たちだった。


Photo by Eden, Janine and JimCC BY 2.0

五体満足な人はほとんどいなかった。指を失い、腕を失い、脚を失い、目を失い、レイプされ、火傷を負った….…夥しい数のそんな人たちがいた。そして、彼らは、重い傷の手当てを受けながら、生きていて、生きようとしていて、未来を夢みようとしていた。

キャンプの中の学校で、両腕を失い、口にペンをくわえて、文字を学んでいる人がいた。キャンプを出たら、自分よりもっと悲惨な目に遭った人を助けたいと語っていた。

たくさんの死んだ人たちの話を聞いた。たくさんの心を病んだ人たちの話を聞いた。

しょせん旅人であり、無力だった私は、あまりにつらくなったので、そこから逃げて自分の国に戻ることができた。しかし、戦争の当事者の人たちにとってはそれは簡単なことではない。

内戦になった国々は、その後、数十年を経ても、癒えない傷を抱えている。

戦争というのはそういうものである。


Photo by Colleen MorganCC BY 2.0

矛盾するようだが、私は絶対平和主義者ではない。なぜなら、不条理な攻撃を受けることというのはありえないことではなく、そういったときに、平和主義者だからという理由で無抵抗であれば問題が解決するかと言えば、けっしてそんなことはないからだ。

ナチスやポル・ポトに恭順したからといって、彼らは虐殺を止めただろうか。

強権的支配に恭順したからといって、その国の国民が幸せになれるだろうか。

太平洋戦争にあって、圧倒的大多数の日本人が、軍部に恭順していたからこそ、軍はあそこまで暴走し、その挙げ句、東京や大阪の大空襲や原爆投下で国土を焦土と化してしまったのではなかったか。

独善的な論理でもって、他者を攻撃し、殺すことをも正当化できると考える人々、組織、国家というものは過去に存在したし、今も存在している。これからも出てくるだろう。そうである以上、言うまでもなく、正当防衛的に自分を護り、反撃する権利が、攻撃される側にはある。

殺される危機に直面していなくても、不当な支配を受け、収奪され、持つべき権利を侵害されれば、反撃する権利は当然ながら存在する。

実際に、私たちが当たり前のように考えている「独立」とか「民主主義」とか「自由」というものは、多くの国々では、戦争や革命などによって、少しずつ勝ち取られてきたものだ。「民主主義」や「自由」が、敗戦によって戦勝国からもたらされたなどという国は、むしろ、きわめて例外的といったほうがいい。


Photo by tiarescottCC BY 2.0

中米を泥沼のような内戦に巻き込んだのは、まさにそういった「軍事独裁」と「革命」、あるいは「革命」と「反革命」の血みどろの争いだった。

だから、私は戦争を全否定することはない。

しかしながら、同時に、戦争というものは、たとえいかなる大義があったとしても、血を流すことそのものと同義であり、とても高い代償を払わなくてはならないものだということ…….戦争に加わるということは、その覚悟を持たなければならないということは、私の心に刻まれている。


Photo by marcel.torunoCC BY 2.0