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戦後70年、これからの日中関係

8月上旬のある日、私はラオスの首都・ビエンチャンにあるワットタイ国際空港に降り立った。入国審査を終え、表に出ると、雷雨が大地に覆いかぶさるなか、東南アジアの新興国らしい賑やかさと気持ちのいいカオスが眼に飛び込んで来た。現場で働く人々は、両手を合わせて「サバイディー」と言って、自然な笑顔をくれた。


Photo by Prince Roy CC BY 2.0

不意にふりかえると、そこにはラオスと日本の国旗が並んで掲げられている、銀色をした、厚く、しっかりとした看板が存在していた。ラオス語と英語で内容が表記されていた。

The Project for Expansion of Vientiane International Airport(ビエンチャン国際空港拡張計画)

そして、この計画が2012年に日本の政府と国民からの援助によって達成されたものであり、同空港は日本とラオスの友好と協力の象徴である旨が謳われていた。1人の日本人として、喜びに胸が熱くなり、同時にそれを撫で下ろした。

翌日、ビエンチャンの街を散策して回ると、そこは中国の存在感で満ちていた。ラオス現地の銀行や他業種の会社の建物を含め、「遠くない過去」までフランスの植民地だったこの地だが、今では町の看板は中国語表記であふれていた。中国のレストラン、メーカー、銀行、マッサージ店などが進出し、街中で中国企業による建設ラッシュが進んでいた。地元の人々は誰もが、「近年中国の投資がものすごい勢いで進んでいる」と言っていた。


Photo by Prince Roy CC BY 2.0

市内でバイクを改造した三輪タクシー・テュクテュクに乗り込むと、雲南省昆明市から来ている中国の方とご一緒することになった。2005年からビエンチャンでビジネスをしている建築会社の駐在員だった。彼によれば、現在ビエンチャンだけで大体10万人の中国人が住みながら商いを営んでいるそうだ。特に農業国であるラオスは建築業のノウハウが足りず、そこを狙って中国(主にラオス北部に隣接する雲南省や、湖南省、浙江省)からの商人たちがやってきて、現地のインフラニーズを満たしているという。

大掛かりな建設プロジェクトを受注するためには地元政府の審査を通る必要があるようだが、当局も基本的に前向きで、何か問題が起こっても、国内企業の海外進出を奨励する中国政府が調停に入ってきてくれるとのことだった。

「ここへの投資や商いは中国がメインだ。あなたの祖国である日本は、主に政府系プロジェクトや観光客が際立っている」、彼は別れ際にこう言った。なまりの少ない北京語であった。


Photo by nakhon100 CC BY 2.0

この雲南商人と話をしながら、私は、往々にして「いい国・いい人」だと思われたいという懇願をモチベーションに言動をとる傾向の強い日本政府・国民には、それだけでなく、世界各地に埋もれている未開の地に眼を向け、貪欲にそれらを開拓していく姿勢も求められるのだと実感させられた。

同時に、数年前、ある日本の政治家がプライベートの席で私に語った問題提起を思い出していた。

「加藤さん、私は日中関係にどう向き合えばいいんだろうか? ロシアとの関係なら何をすればいいかは明確だ。北方領土の問題を解決し、平和友好条約を結ぶこと。中国とはすでに同条約を結んでいるし、経済関係も繁栄している」

この政治家は、中国との関係に真剣に向き合い、日中関係が重要だと認識するためのインセンティブを探していた。

話をしていくうちに、私たちは、「共同プロジェクト」という概念にたどり着いた。官か民かは問わず、時には官民一体で、日中間で共同プロジェクトを作り、進める過程で、交流や協力を促し、相互理解と信頼を構築していこうというコンセプトである。


Photo by Ken Marshall CC BY 2.0

私は2003年に高校を卒業し、単身北京へ留学した。中国が改革開放政策を進める情勢下において、学業の傍ら、中国の論壇やメディアで発信しながら、自分なりに、言論統制や「反日感情」が渦巻く異国の地で活動することの難しさと楽しさの両方を、身をもって体験する幸運に恵まれた。

私にとって最も大きなテーマのひとつは日中関係、あるいは日本と中国がどのような関係を構築していくか、だった。領土や歴史に関わる問題などによって政治関係が不安定化し、国民感情も相互的に悪化しやすい日中関係において、安定的・健康的な関係は天から降ってきたり、自然とそこにあるような類のものではなく、両国の政府や国民の不断なる、人為的な努力と行動によって初めて成立するものだ。

私は、日中関係は1972年の国交正常化以来、すでに第3のステージに入ったと認識している。

第1ステージは、ソ連という日中共通の脅威が存在した冷戦下において、政治関係が比較的安定し、経済関係を促進していった1972年から1990年前後。  

第2ステージは、中国は天安門事件(1989年6月)で国際社会からの孤立に苦しみながらも鄧小平による南巡講話(1992年1~2月)によって市場経済を推し進め、日本はバブル崩壊を経て「失われたXX年」へと突入していく情勢下で、政治関係は不安定化しつつも経済・貿易関係の活性化で日中関係の世界における重要性が増していった時期。

そして第3ステージは、日本の対中政府開発援助(ODA)の円借款が終了したり(2007年)、中国経済が国内総生産(GDP)で日本を追い抜いた(2010年)時期に始まり、現在に至る。


Photo by Jakob Montrasio CC BY 2.0

日中が歴史上初めて、真の意味での「対等」な関係として競合していくことが想定される第3ステージでは、第1ステージにおけるソ連のような両国が共有する「明確な脅威」も、第2ステージにおける経済関係のような当たり前に進んでいく「明確な目標」も存在しない。「私たち」自身の努力によって、両国政府・国民の共通利益となる基盤・インセンティブを模索していく以外に道はない。

前出の政治家との話にもあったが、私は【日中共同対外援助・投資プロジェクト】のような産物をイメージしている。日中の政府や民間企業、そしてこれから台頭が期待される、「個」で勝負するフリーエージェントたちが、アフリカ、東南アジア、南アメリカ地域の新興国や途上国の都市化建設や地域発展を共同で請け負うのだ。

両国が共同で取り組めば、コミュニケーションやロジスティクスを含めたコストが余分にかかることは間違いないだろう。両国で政治的・世論的な反発も生まれるかもしれない。

しかし、それを超越するだけの「大義名分」がそこにはあると、私は考えている。

世界第2・第3の経済大国である中国と日本は、共に、世界史において西欧に比べて「後れ」を取ってきたアジアの国家だ。その2カ国が――しかも、政治的・歴史的に複雑な経緯を通じて現在に至る日本と中国が――世界の発展のために一緒に汗を流すことは、他に類を見ないシンボリックな出来事になるにちがいない。アジアにおける歴史的な「和解」を世界に向けて発信する契機ともなるだろう。そのプロセスは、前出の政治家が頭を抱えていた「日中は何のために協力するのか? 日中関係はなぜ重要なのか?」という世紀の問いに答えることにつながるであろう。

よりミクロな観点から言えば、日本としては、第3の地で中国の政府や企業、そして個人と共同作業を展開することで、中国のプレイヤーに法律やルールを守ることの重要性、事業の透明性やコンプライアンスを重んじることの切迫性、現地社会のキャパシティやローカル特有の事情を尊ぶことの必要性を、実際のプロジェクトを通じて伝えていくことが可能になる。それはまさに、中国社会自身が今後変化を遂げていくための羅針盤となるはずだ。現代化・先進性という文脈における「先輩」として、日本はそれらを中国に伝えていく責務を担っていると私は切に思う。


Photo by Gavin HSU CC BY 2.0

中国はポテンシャルと不確定性を備えた大国であり、中国が対内・対外的にどのような国家・社会になっていくかは、日本の将来の発展にとっても避けては通れない命運のようなものだ。中国が法律やルール、制度や透明性、そしてグローバル・スタンダードや人権を尊重する社会へと変遷し、中国国民がセーフティーネットの整備された環境下で健全に豊かになっていくプロセスにおいて、隣国であり、対中投資・貿易、そして近年インバウンドビジネスとして注目される中国国民向け観光などでも引き続き中国との関係づくりに向き合っていく日本社会が享受する果実は計り知れない。中国がどういう経済体になり、中国人がどういう経済プレイヤーになっていくかというテーマは、日本の国益、そして未来を左右し得る問題であるからだ。

いつの日か、日中の官民による共働作業によって繁栄していく大地が生まれることを祈っている。

2015年8月 メコン川の畔にて