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安保法制を廃案にし、維新案をベースに出し直しを!・・・PKO国会に学べ

安倍政権による違憲立法、自衛隊の海外派遣に歯止めが効かない安保法制が、先週、衆院を通過した。民主、維新等野党各党が本会議を退席する中での、異例な強行採決だった。

 本来、こうした国の根幹に係る政策、特に安全保障に係る法案については、与党だけでなく、少なくとも主要野党の賛同も得て、その成立を図る必要がある。なぜなら、政権交代が行われる毎に、根幹の政策が変わるようでは困るからだ。「有事立法」の時も、「社会保障と税の一体改革」の時もそうだった。

 これを受けて、安倍内閣の支持率も軒並み急落した。当然であろう。国民の8割が「説明が十分でない」「わからない」としている中での強行採決。国民の間に、憲法学者はもちろんのこと、文化人や知識人、若者も含め、この安保法制への反対運動が起きているのも「宜(むべ)なるかな」である。

 そこで提案したい。安倍首相は、先人、先例にならって、一旦、この安保法制を廃案にすべきだと。新国立競技場の例ではないが、「白紙撤回」し、維新案を基に「ゼロベースで見直し」すべきだと。

 「PKO法案は3国会にわたって丁寧に議論した」とよく言われる。PKO法案とは「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律案」のことである。私は、その「3国会」を、首相官邸で、当時、直に経験した。

 1990年6月、通産省から内閣副参事官として官邸に出向した私は、総理の施政方針演説の草稿づくりや総理答弁の作成、国会対策の担当となった。そして、1992年6月、この法案が、社会党や共産党による「牛歩戦術」で三日三晩の徹夜国会を経て、ようやく成立したのを見届けて、通産省に戻ったのである。

 「先人、先例にならって」とは、この時のことだ。実は、この成立したPKO法案には、その前身があった。そう、「国際連合平和協力法案」のことだ。湾岸危機の勃発により、我が国として「資金的支援」に止まらず、「人的支援」もという掛け声の下に、自衛隊とは別組織の「国連平和協力隊」の創設を柱とする同法案が立案されたのだ。

 しかし、憲法第9条の制約の中で、ぎりぎり可能な「人的支援」とは何か、国連平和協力隊と自衛隊の身分を併任にするか、それとも休職・出向にするか、指揮監督権はどうするか等々の議論で紛糾し、さらには、法案を担当した外務省の答弁のまずさ、防衛庁との権限争い、野党の激しい抵抗、そして国民のへの説明不足等から、世論の理解は進まず、結局、90年11月に廃案となったのである。

 その後、一旦、仕切り直し、当時の与党(自民党)と野党(公明党と民社党)との三党合意に基づき、91年9月、「PKO法案」が国会に提出されるのだ。この法案担当も、外務省から首相官邸が直接当たることとなり、政府部内の総合調整もしっかり行われることとなった。そして、この仕切り直しの新法は、91年12月に衆議院本会議で可決、92年6月8日に参議院本会議で修正案が可決され、同年6月15日に衆議院本会議で参議院修正案が可決され、成立することになるのである。

 今、与党からは、さかんに、この時のPKO法案も当時は国民の理解は進んでいなかったということが喧伝される。安倍首相も、その祖父、岸信介元首相の安保条約改定時の述懐、「民意の二歩三歩先を行くのが政治。それに民意はついてくる」にならっているのかもしれない。

 確かに、民意に常に迎合するのは「ポピュリズム政治」かもしれない。しかし、こうしたPKO法案の成立過程をみれば、国会内で一旦は「廃案」という大きな決断をしながら、立ち止まって熟考し、主要野党との協議を含め、丁寧な手続きを踏んで、あらためて法案成立に向けて努力したことはおわかりいただけるだろう。

 安倍総理、今からでも遅くない。残り二ヶ月間の会期で、丁寧かつ十分な国会審議を進め、維新の独自案その他の提案にも真摯に耳を傾け、それでも会期末までに国民の理解が進まなければ、この法案は廃案にし、もう一度、「ゼロベース」で野党や憲法学者、国際法学者、文化人、知識人、市民団体等も入れた国民的議論を行い、次の国会に、憲法適合性ある、現下の安全保障上の要請にも応え得る安保法制を出し直したらどうか。強く提案するものである。