オリンピックと外交の不思議な関係

スポーツと政治は関係ないと言われがちですが、オリンピックには外交がつきものです。外交的側面をみてみると、オリンピックと政治は密接な関係であることが分かります。

オリンピックの外交的側面には、以下の4種類が挙げられます。

 1.国威発揚(こくいはつよう)とナショナリズムの盛り上げ
 2.国家の宣伝に大きな効果を持つこと
 3.国家としての正当性を訴える手段
 4.外交の直接的手段としての活用

今回はそれぞれを順に説明し、事例を紹介していきます。

1.国威発揚とナショナリズムの盛り上げ

国威発揚(国家が対外的に国力をアピールすること)とナショナリズムの盛り上げ事例として、メダルを一つでも多く獲得する、国旗を掲げて国歌斉唱をする、金メダルを取った選手が国民を感動の渦に巻き込む、というように国に勢いをつけることが挙げられます。

第2次世界大戦後に、メダルを取った数が国力を反映すると気づいたソ連や欧米諸国は、競技の練習と時間に多くの時間を割き、形式的には公務員の「ステート・アマ」(当時のオリンピックでは、アマチュアのみ参加可だった)を養成し、オリンピックに送り込みました。

2.国家の宣伝に大きな効果を持つこと

オリンピック開催国は、そのビッグイベントゆえに街の表情や国作りの様子を他国にアピールする絶好の機会です。代表的な例に、1936年のベルリン・オリンピックが挙げられます。別名「ヒトラーのオリンピック」と呼ばれ、ナチスドイツが堂々とした立派な姿を見せるための宣伝として、オリンピックを最大限に活用しました。

3.国家としての正当性を訴える手段

1988年のソウル・オリンピックは、北朝鮮に対する韓国の優位と正当性を証明する手段となりました。今まで、韓国を認めていなかった中国やソ連、東欧諸国は選手たちをソウルに送り、それがきっかけで中韓、韓ソの国交正常化へとつながります。

4.外交の直接的手段としての活用

こちらでは、外交の直接的手段の活用事例を2つご紹介します。

1980年、モスクワ・オリンピックでのボイコット

共産圏で初めて開催されることになっていた1980年のモスクワ・オリンピックでは、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、多くの国がボイコットをしました。

アメリカを筆頭にイギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などがそれに応じて不参加を決めます。最終的に60ヵ国もの国が不参加を表明し、歴代オリンピックの中でも、最も大きな外交問題となりました。

1979年には中国とベトナム間で中越戦争(ちゅうえつせんそう)が起きました。その当時、中ソは対立していて、ソ連はベトナムを支援するという状況だったので、中ソ友好同盟相互援助条約は、期限切れと共に廃棄されることとなりました。

そこでソ連のアフガニスタン侵攻が起こったので、中国は同じ共産国でありながら、モスクワ・オリンピックをボイコットしたのです。

1984年、ロサンゼルス・オリンピックでのボイコット

次に開催された1984年のロサンゼルス・オリンピックで、今度はソ連と東欧諸国がボイコットしました。名目上は1983年のアメリカ軍のグレナダ侵攻への抗議でしたが、実態はモスクワ五輪の報復です。

これらのように、オリンピックが東西対立の道具として利用されたことは「新冷戦」と言われています。ちなみに、スポーツ大国の東ドイツは参加を熱望していたとされ、ソ連と東欧諸国に亀裂が入る一因となりました。

2016年、リオデジャネイロ・オリンピックでの外交問題

リオ・オリンピックは、ブラジルのリオデジャネイロで2016年8月5日から8月21日までの17日間、開催されました。206の国と地域から約11000人が参加し、28競技306種目が行われました。しかし、その背景には外交問題が潜んでいて、五輪開幕が危ぶまれました。

リオ五輪でテロ計画、ブラジル人10人がISに共鳴し逮捕される

2016年7月21日、ブラジルの連邦警察はブラジル人10人をテロ計画の罪で逮捕しました。彼らは、超過激派組織「イスラム国」(IS)に共鳴し、ブラジル国内で武器などの準備をしていたのです。

この10人は、数か月前から内偵捜査の対象となっていました。警察が電話や対話アプリの盗撮を行うと、ISを称える発言が聞き取れ、パラグアイで武器を購入する計画について話し合っていたといいます。リオデジャネイロ・オリンピックで、多くの人がブラジルにやってくることを狙った計画と見られています。

反ドーピング機関にサイバー攻撃、ロシア政府の影!?

2016年、リオ五輪前に、ロシアの国家ぐるみによるドーピング問題が発覚し、同国選手の出場が禁止となりました。

その後、世界反ドーピング組織であるWADAは、「ファンシーベア(幻想的な熊)」と名乗るハッカー集団から攻撃を受け、リオ五輪に関わる選手の機密データが流失したと発表。

WADAは、ロシアのドーピング問題を告発したことに対する報復との見方を示しました。

1940年、東京・オリンピックは消えた

続いて、日本のオリンピックに関する外交を紹介します。

1940年、オリンピックを東京で開催することが決定。他に候補地として挙がっていたローマに対し、辞退してもらえるように熱心な工作をしたことが功を奏したのです。

しかし、翌年、日中戦争の勃発によって、オリンピックを開催することが危うくなっていきます。アメリカをはじめとする列国は、戦争当事国がオリンピックを開催することに疑問を呈し、日本国内でも反対の声が挙がりました。

その後、鉄材やコンクリートが不足し、競技場の建設が不可能となり、開催国はヘルシンキに変更となりますが、最終的には、第2次世界大戦が勃発し、オリンピック自体がなくなりました。

1964年、東京オリンピック開幕

1964年の東京・オリンピックは、第2次世界大戦終結後ということもあり、敗戦していた日本にとって希望の光となります。原発を落とされて、廃墟と化していた国が復興をアピールし、他国に承認をしてもらう絶好の機会でした。

結果的に、東海道新幹線、東名高速、首都高速も開通し、衛星テレビの中継を通して、日本人の勤勉さや組織力の素晴らしさなどが知れ渡っていきます。

まとめ

いかがでしょうか。以上のように、オリンピックと外交は切っても切り離せない関係なのです。
今まで、オリンピックを単なるスポーツとしか見たことがない方は、外交も絡めてオリンピックを捉えると、また違った世界を見ることができるでしょう。