イスラム国はなくなった?宗教から学ぶ、戦争が与えるもの

日本人にとって宗教というのは、ほど遠いものです。これほど宗教に関心のない国も珍しく、仏教徒でありながら、多くの日本人は無宗教主義です。というのも日本では、オウム真理教の登場により、宗教=胡散臭いもの、というイメージが強く残っています。

ですが、世界中で起こる戦争の多くは、宗教観の違いによるものです。イスラム国はその代表ともいえる存在であり、イスラム教徒こそ正義だと訴えていました。日本人には馴染みのない話ですが、そんな宗教から見える世界情勢とはどんなものでしょうか。

イスラム国は、無くなってはいない。次なる問題は「戦闘員の帰国」

2019年2月時点で、イスラム国が壊滅状態にあることは確かです。現在はイラク国境の50キロ平方メートルの地域に、戦闘員1,000〜1,500人ほどが残っています。以前のような大人数の脅威ではなくなり、その脅威は日に日に小さくなっています。

報道で頻繁に取り上げられることも少なくなりましたが、イスラム国には更なる問題が発生しています。それは、他国から渡航した戦闘員の帰国についてです。宗教観が変わりイスラム国に参加したものの、現実を見て帰りたいと望む人が増えています。そんな彼らを帰国させるか否かについて、様々な意見が飛び交っているのです。

国に背いて戦闘員になった者を、国民として受け入れるかどうか

世界各国からイスラム国の戦闘員になる若者が後を絶たず、日本人にも参加者がいるとして、数年前まで多くの報道がなされていました。正しいと思うことのために戦うのは間違いではありませんが、帰国を望む者の中には、「大きな間違いを犯した」と後悔している人もたくさんいます。

ですが、大きな間違いを修正するのは、容易なことではありません。

イギリスからシリアへ渡航した女性に対し、イギリス政府は市民権を剥奪しました。また彼女の母親がバングラデシュ人であることから、バングラデシュに市民権があるとしましたが、バングラデシュは彼女に市民権はないとして、現在もシリアから帰国できずにいます。

ロシアではイスラム国戦闘員の妻や子どもを受け入れていますが、彼らを「潜在的脅威」として警戒しているのが現実です。その対応に前向きでないロシアの政治家も多く、摩擦を生んでいるのは確かでしょう。

例え直接手を下していなかったとしても、テロリストの仲間であったことは事実です。いくら後悔し反省しても、その事実がなかったことになるわけではありません。だからといって、見放すことができる世の中ではないんですよね。

各国がこの問題に頭を悩ませており、このままでは多くの人が無国籍者になってしまう可能性もあるのです。

ほとんどの国が帰国を認めず、その権利もないと主張している

アメリカからシリアへ渡り、プロパガンダ要員として活動していた女性が、アメリカへ帰りたいと訴えています。ですが、これに対しポンペオ国務長官は、「彼女は米市民ではなく、有効な旅券も旅券を持つ権利もない。」として、帰国を認めませんでした。これにはトランプ大統領も同意しており、そのように指示したとTwitterで明らかにしています。

これはイギリス、バングラデシュ、両国の政府見解も同様です。またジャーナリストの旅券剥奪により少々騒がれた日本も、同じ立ち位置を取っています。

「もうしない」という言葉を信じるには、とても大きなリスクが伴います。それが国家に影響するレベルであれば、認められなくて当然といえるでしょう。

どうして宗教観の違いで争う?日本人には分からない「神」の存在

日本人に神様の話をしても、ほとんどの人は「存在しないもの」として会話しています。宗教というのはなんだか胡散臭くて、神様なんていないでしょう、という人が多いのではないでしょうか。

ですが、世界ではそうではない人の方が多く存在しています。世界三大宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教、仏教は、全部合わせると40億人以上の信者がいるとされています。最も多いのがキリスト教徒で、次いでイスラム教徒、そして仏教徒です。

戦争の多くは、キリスト教とイスラム教の宗教観の違いによって発生しています。どちらの神が正しいのか、という戦いにはキリがなく、何世紀にもわたって戦争を繰り返しているのです。

ではここで、それぞれの宗教について簡単に学んでみましょう。

キリスト教

キリスト教といえば、十字架のある教会で祈りを捧げているイメージが強いかと思います。神は「イエス・キリスト」と定義されており、クリスマスや生誕祭などは、日本でもイベントのひとつとされていますよね。

キリスト教に関わらず、宗教には「宗派」が存在します。同じ宗教でも価値観が異なり、お互いの存在を否定したり、宗派ごとに戦争が発生する場合もあります。そんな宗派はキリスト教にも存在し、宗派によって十字架を切ったり切らなかったりと、小さな違いがたくさんあるのです。

キリスト教の生まれはユダヤ教だといわれていますが、実はイスラム教も、ユダヤ教から派生したものだという説があります。これによりユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地は、イスラエルのエルサレムとされています。

日本人的感覚でいうと、「同じ母から生まれた考え方の異なる兄弟」のような感じです。ですが、キリスト教はそれを認めず、イスラム教とは全く関係のないものだと主張しています。

イスラム教

実はキリスト教の聖書とイスラム教のコーランの内容は、すごく似ています。同じ母から生まれたので当然といえますが、イスラム教は「アッラー」を唯一絶対の神としており、排他的であることが特徴です。

「イスラム教のテロリスト」といっても、宗派によって争いを好む者と平和的解決を目指している者がいます。日本では「イスラム教徒」と報道されることが多いですが、イスラム教徒の全宗派が、過激派組織ではないのです。

神様ってなに?信じたら救われるってあり得るの?

筆者は昔、街中で宗教の勧誘を受けたことがあります。その際、このように言われました。

「信じる者は救われる、信じない者は、地獄へ落ちるんですよ。」

もしもこれが本当だとしたら、とても恐ろしいことですよね。きっと多くの日本人が、地獄へ落ちることになります。できれば天国へ行きたいものですが、神様を信じなければ幸せになることはできないのでしょうか?

キリスト教もイスラム教も、そして仏教も、神と崇めているものは「架空の人物」です。実際に存在したといわれていますが、その証拠は確たるものとはいえません。実際に、絶対にいたとはいえない神の存在ですが、信じることで救われると多くの人が思っています。

ですが、日本人にとっては「目に見えるものは信じるけど、目に見えないものを信じる価値はない」というのが一般的です。神様を信じるよりも自分や他人を信じることの方が、ずっと価値があり、自身の幸せや他人の幸せに影響すると信じています。

そんな日本人にとって、神の違いによる争いはなかなか理解しがたいものですよね。だからといって他人の価値観を否定せず、かといって賛成するわけでもない日本人だからこそ、神という存在を冷静に見ることができるのかもしれません。

まとめ

宗教による戦争は、一言で言ってしまえば「木を見て森を見ず」です。自分たちのことしか見えていない結果、イスラム国のように「ムスリム(イスラム教徒の総称)以外は、生きている価値がない」という考えになってしまうのです。

世界中にはたくさんの人が暮らしていて、価値観は人によって異なります。十人十色という言葉がありますが、その通り、宗教以外の価値観も異なるのです。お互いを認め合いながら尊重できる世界になれば、宗教による戦争はなくなるといえるでしょう。